実感とデータの「不都合な真実」(実験2)

前回の「実験1」において、私たちはWebカメラから得られる視線移動距離やまばたきの回数と、脳血流データとの間に明確な相関が見られないという壁にぶつかりました。この衝撃的な結果を受けて、プロジェクトチーム内にはある根本的な疑念が浮かび上がりました。

「そもそも、私たちが正解データとしている脳血流指標(HOT-2000の数値)は、受講者が感じている『今、集中している!』という実感と本当に一致しているのだろうか?」

この問いに答えるべく、私たちは「実験2」へと舵を切りました。この実験の目的は、センサーが示す客観的なデータと、被験者が回答する主観的なアンケート結果の「合致率」を検証することにありました。

具体的には、お笑い動画(面白い内容の動画を見ている時は集中しているだろうという仮説)、学習コンテンツ、適性検査(国語・算数)(テストを受けている時は集中しているだろうという仮説)など、異なる性質のタスクを課し、各セッション終了直後に「今の時間はどの程度集中できていたか」を6段階で自己評価してもらいました。

突きつけられた「合致率64%」の壁

実験2の分析結果は、私たちの予想以上に複雑な人間の脳の仕組みを浮き彫りにしました。主観的な集中実感と、客観的な脳血流指標(前頭葉の活性化状態)を比較したところ、その合致率は平均して50%〜60%程度に留まったのです。

もっとも合致率が高かったシナリオ(安定状態から基準値を設定した場合)でも64%でした。これは、受講者が「すごく集中していた」と振り返っていても、実際には脳の血流に大きな変化が見られなかったり、逆に「ぼーっとしていた」自覚があっても、脳の特定の部位は激しく活動していたりするケースが4割近く存在することを意味します。

特に、30代の被験者において主観的な集中実感が低い傾向にあるなど、年齢や属性による主観のバイアスも確認されました。この結果は、私たちが開発しようとしていたアルゴリズムが、単に「本人の感想」をなぞるだけでは不十分であり、より深い生理学的な根拠に基づかなければならないことを示唆していました。

脳科学の専門家、NeU社からの知見

この停滞を打破するために行われたのが、デバイスの提供元であり、東北大学と日立ハイテクのジョイントベンチャーである株式会社NeUとの協議でした。株式会社NeUは、あの一斉を風靡したニンテンドーDSの脳トレソフトの監修者である川島隆太東北大学教授が取締役CBSOを務めるブレイン・ヘルステックのリーディングカンパニーです。そこで得られた専門的なアドバイスは、プロジェクトの方向性を根本から変えるものでした。

NeU社の専門家によれば、私たちが測定していた脳血流の変化は、単純な「集中度」という言葉よりも、むしろ「認知負荷(脳の活性度)」として捉えるのが適切であるというのです。

脳内ネットワークには、作業に没頭している時に活性化する「CEN(前頭葉左部など)」と、逆に安静時や考え事をしている時に活性化する「DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)」があります。

  • DMNの活性化: これは「マインドワンダリング(心の彷徨)」の状態、つまり目の前の課題から注意が逸れ、あらゆることに意識が巡っている状態を指します。
  • CENの活性化: 思考が高まり、認知的なリソースを課題に投入している状態です。

しかし、DMNが活性化していても、ブレインストーミングのように「思考が拡散しながら高まっている状態」も存在します。つまり、「血流が増えている=集中している」という単純な図式ではなく、脳がどのような種類の負荷を受け、どのように活性化しているのかを評価すべきであるという結論に至ったのです。

プロジェクトの再定義:集中度から「脳活性化評価」へ

私たちはこの知見を重く受け止め、プロジェクトの目的を「脳の活性化評価アルゴリズムの開発」へと再定義しました。もはや単に「よそ見をしていないか」を測るのではなく、学習者が「適切な認知的負荷」を感じ、脳が効率的に働いているかを評価することを目指したのです。

ここで導入されたのが、教育工学における「認知負荷理論」です。私たちは、脳に負荷を与える要素を以下の3つに整理しました。

  1. 課題内在性負荷: 学習内容そのものの難易度や複雑さに由来する負荷。
  2. 課題外在性負荷: コンテンツのUI/UXの悪さや、周囲の騒音など、学習の本質とは無関係なストレス要因による負荷。
  3. 学習関連負荷: 知識を構築するために必要な、望ましい負荷。

私たちの新しい目標は、Webカメラを通じて「今、この学習者は学習に寄与する『良い負荷(脳の活性化)』を感じているか」を判定するモデルの構築となりました。

実験3への徹底した備え

次なる大規模実験「実験3」に向けて、私たちはこれまでの失敗から学んだ教訓をすべて注ぎ込みました。

まず、個人ごとの「顔の動きの癖」を排除するため、コンテンツ視聴前に厳格なキャリブレーション(事前較正)を行うフローを設計しました。無表情、笑顔、目を大きく見開いた状態をそれぞれ5秒間記録し、それらを個人の基準点(ベースライン)として設定することにしたのです。

また、脳を意図的に活性化させるための仕掛けとして、以下の要素を組み合わせた6つの実験パターンを用意しました。

  • コンテンツの分類: 「解説を視聴しているだけなので、活性化しないだろう」という仮説から歴史解説動画、「登場人物の掛け合いによりやや活性化するだろう」という仮説から討論動画、「動画から問いかけがあるため、かなり活性化するだろう」という仮説から脳トレ動画とインド式計算解説動画を用意。
  • 事前メッセージによるプレッシャー: 「この後テストを行います」「合格点に達しない場合は……」といったメッセージを提示し、ストレス(心理的負荷)が脳血流に与える影響を検証。

上記を組み合わせ、用意した6つの実験パターンは下記です。

・歴史解説動画のみ(PC)
・事前メッセージ+歴史解説動画(PC)
・脳トレ動画のみ(PC)
・事前メッセージ+インド式計算解説動画(PC)
・事前メッセージ+歴史解説動画(スマホ)
・事前メッセージ+脳トレ動画(スマホ)

私たちは、PCだけでなくスマートフォンでの学習シーンも想定し、40名以上の被験者を募る準備を整えました。次世代の教育体験を支えるアルゴリズムは、もうすぐ手の届くところにある――。チームの誰もがそう信じていました。


「プロシーズラボ」は、「学ぶ」「働く」「成長する」を支援するプロシーズが、未来の新しい価値を創造し続けるために立ち上げた研究開発機関です。「ICTを活用した新しい学び」をカタチにするために様々な角度からアプローチし、日々実験、開発に勤しんでおります。

「ICTを活用した新しい学び」につながることでしたら何でもご相談ください。共同研究などのご依頼も大歓迎です!